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2014年8月18日 (月)

ことばこそ、唯一の小道~金田一京助~

8月17日読売新聞日曜版より

 ことばこそ堅くとざした、心の城府へ通う唯一の小路であった。

                      ~金田一京助~

1 記事要約

 アイヌ語研究で知られる言語学者の金田一京助は、1907年25歳のとき、初めて樺太アイヌを訪ねた。現地で言葉の採取を試みるが、誰もが背を向け、黙り込んでしまう。むなしく時間が過ぎ、打ちひしがれた4日目、子供たちが遊んでいる姿を写生していると、彼らの方から寄ってきた。目を描くと「シシ」、鼻を描くと「エトゥ・プイ」と声が飛ぶ。大喜びした京助は、大人たちの所へ行って、覚えたての単語で話しかける。すると今まで顔をしかめていた大人たちの白い歯をみて、

「ことばこそ堅くとざした、心の城府へ通う唯一の小道であった。渠(キョ:人工の水路、堀、みぞ)成って水至る。ここに至って、私は荷物をもためらわず、すべてを捨てて、まっしぐらにこの小道を進んだのは、ほとんど狂信的だった」

とそのときの感激を綴っている。

 アイヌ語は、文字を持たない。それを後世に残そうと、京助は貧しさに耐え一生をささげた。「アイヌは偉大な民族だ」と主張し続けた京助も、戦後アイヌ民族の同化政策の先棒を担いだと批判されたが、その明治人の京助も、当時の偏見から自由ではなかったのだ。

2 感想

 金田一京助の名前は、かつての三省堂の国語辞典で知った年配者も多いと思う。

 研究者として、何を生涯の研究対象とするかの選択は、とても重要な問題である。京助を偉大な研究者と仕上げたきっかけは、ほんのわずかな誠実な彼の言葉のやりとりであったのだ。

 たった一言で勇気づけ、たった一言で絶望へ追い込む言葉の力。ふと我を振り返り、言葉を大切に使っているだろうか、人を勇気づける言霊として使っているだろうかと、自らを反省した。

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