2022年7月
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31            
無料ブログはココログ

« 2014年10月 | トップページ | 2014年12月 »

2014年11月

2014年11月30日 (日)

仕事がノロい

今日も出勤、仕事が終わらない。

能力の低さに、自己嫌悪である。

Sakura

職場近くの桜の名所。

異動したら、もう来ることはないだろうな。

〈19:30追記〉

 明日の会議資料が何とか完成した。資料作成のことを考えれば考えるほど夜も寝られず、胃が痛くなっていた。
 いずれ修正が入るのだから、今日はこれで良しとしよう。

○明日の予定

午前:教授接待

 経営指導に教授がいらっしゃる。接待といっても、応接役だ。これだけは他の人にお願いしても"絶対に"断られる。
 理論でグイグイ攻めしてくる教授に、
「理論に対して、理詰めで対応できるのはお前しかいない。」
と、上司や同僚からほめられたのか、逃げられたのか・・・。

午後:出張会議

 会議自体は別に構えるほどのものではなく、普段どおりの会議だが、不在になる間の事務処理に頭が痛い。
 さて、不在の間に開かれる部門別会議がどうなるだろうか。ここぞとばかりに、今日作った資料がボコボコにされることでしょう(笑)
 いずれにしろ、明日も早朝出勤で何とか対応しよう。

ところで・・・

 帰宅したら自宅にお歳暮が届いていた。素敵なお花のプレゼント。無味乾燥とした部屋が急に明るくなった。
 こちらの方が普段からお世話になっているのに、先に頂いてしまって恐縮である。
 早速お礼の電話をして、ちゃんとお返ししなくては。

Shikuramen

 明日から12月。

 もう、年末か・・・。

 

2014年11月29日 (土)

相手の「器」を量る~読売新聞「編集手帳」より~

11月27日読売新聞「編集手帳」より引用・要約

 アポロ11号が月面着陸する様子をテレビで同時通訳したことで知られる国弘正雄氏が84歳で亡くなった。
 1975(昭和50)年に三木武夫首相(当時)が訪米し、ワシントンで講演したときのエピソード。

 記者からの質問

「当地にはプロ球団がない。読売ジャイアンツの招致にお骨折り願えないか?」

 首相は日本語でボソボソ

「話を何とか進めて・・・」

と答えた。

 通訳の国弘正雄氏

「プロ野球はいまや米国のみならず、日本の国技でもある。あなた方ね、私らが何でもイエスと答えると思ったら間違いですよ。日米交渉と同じです。ご提案は受託しかねます」

 現地記者の居並ぶ会場がワーッと沸いた。当の首相は隣でキョトンとしていたらしい。

 米国のメディアは意表をつく質問を飛ばし、その応対を見て相手の「器」を量るときがある。日本の首相がなめられてはいけない。国弘さんの回想によれば”誤訳”する了解を事前に首相から得ていたという。

〈感想〉

 早速、私の職場の通訳の方とこの話をした。その方も大笑いをしていた。その方は、かつて医学やコンピュータに関する同時通訳をしていたが、これだけの訳は「同時通訳の神様」と呼ばれる国弘さんでなければできないという。

 恥ずかしながら私にはその自覚がないが、その方言うには、どうやら私は頭の回転が早く、なかなかウィットのある会話ができる人に見えるらしい。でも、仮に自分がその場にいたら、このような会話は日本語でも難しいことだ。

 意表をつく質問に対し、その応対を見て相手の「器」を量る。日本のビジネスシーンでもよくある事である。冷静な対応ができるよう、忙しい中でも自己の器を磨かねばならない。

〈追記〉

That's one small step for a man, one giant leap for mankind.

”これは一人の人間にとっては小さな一歩だが、

    人類にとっては大きな飛躍だ。”

 聞きなれはいるが、壮大な言葉である。

(ちなみにこの時は、西山千氏による同時通訳であった。)

2014年11月26日 (水)

「奪われたレーゾンデートル」~Eテレ『野田ともうします』~

 11月17日(月)Eテレ23時50分放送「野田ともうします」を観る。タイトルは「奪われたレーゾンデートル」であった。

 "レーゾンデートル"とは、フランス語で「存在理由」を意味する。

1 番組要約

 野田さん(江口のりこ)が、小学校4年生の時のこと。母の言いつけを守らず、夜更かしした翌日、冷蔵庫を開けたら、卵入れに起き上がりこぼしが入っていた。母に尋ねると、「起き上がりこぼしのレーゾンデートルを喪失させている」のだと言う。その時、野田さんは決して母の機嫌を損ねてはいけないと悟った。そして今、母から送られてきた荷物に、母の怒りを感じた野田さんは、部屋に重松さんと山本くんを招き、荷物を一緒に見てもらう。
 まず、両面テープを片面だけ使用した荷物、中には縦書き線を無視して横書きで書かれた手紙、タッパーに入った季節はずれの手編みの手袋など、それぞれのレーゾンデートルを喪失させた方法で送られていた。

2 感想

 これは原作は漫画であり、それをドラマ化したものである。漫画を読んだことはないが、毎回の放送を楽しみしている。今回は「奪われたレーゾンデートル」であるが、実にシニカルな笑いであった。
 録画を見終わったあと、「はたして私の”レーゾンデートル”とは何か」と考え込んでしまった。

 絶対に他者のレーゾンデートルを否定・喪失させる言動だけはしないようにしたいものである。それは相手にとってもっとも屈辱的なことであるから。

2014年11月25日 (火)

三つの幸せ

FB記事より要約

 幸せには三つある

① してもらう幸せ

② できる幸せ

③ してあげる幸せ
   ・・・これは、三つの中で最高の幸せ

 してあげるのは、してもらった恩返し

 できるのならば倍返ししたい。

 そろそろ年末、今年のお礼は今年のうちに済ませなきゃ。

〈追記〉

同じFBからの転載

何かをしてあげようとするから

ハッピーになれる。

してもらう人生も

それはそれで幸せ

でも、してあげる喜びも

幸せなんです。

「何かをしてあげよう」と考えれば

それだけで人生は楽しくなります。

まだまだ、してあげることが

山のようにあるなと考えると、

ハッピーになれるのです。

 みんながハッピーになれれば、素晴らしいですね。

 

顔をあげよう。

Photo

もみじを見上げる。

すっかり秋でした。

顔をあげなきゃ。

2014年11月23日 (日)

甲武信小屋、戸渡尾根、徳ちゃん新道、山梨市駅(帰路)初冬の奥秩父登山(その3)

 5時に朝食を済ませ、団体さんが6時に出発するとのことで、
一足先に5時40分に小屋を後にする。

 出発する人全てが、”ムクムク”の”コロンコロン”

1024x768

日の出時刻は6時、ヘッドランプをつけて登山開始。
気温は-6℃。
小屋の水道は凍結していた。

3_1024x768

樹林帯を登っていくと、木賊山に到着する。

「木賊」と物騒な名前だが「とくさ」と読む。2_1024x767

三等三角点にタッチ!

1024x767

下山途中に日の出と遭遇。
安全を祈願し、手を合わせる。
山に登ると、急に信心深くなるものだ。

1024x713

ふと、下を見るとコーヒー豆のような石。
あ~、コーヒー飲みたい!

3_1024x756

戸渡尾根と東沢の交点で、絶景を見る。
つい、沢沿いに下りたくなるが、それは危険です。

プリンのような富士山、おいしそ~。

1_1024x768
やはり、富士山はすばらしい。

Photo

シャクナゲに囲まれた道に入る。
6月下旬あたりは、素晴らしい花の道になるのでしょう。

1024x768_2

モヤシサイズの霜柱。
さすが山奥、”フィジカル・マックス”!

1024x768_3

近丸新道と、徳ちゃん新道の分岐。
徳ちゃんとは、甲武信小屋のご主人である山中徳治氏のこと。
敬意を表して、徳ちゃん新道で下る。

1024x750

徳ちゃん新道で唯一の展望スポット、
広瀬湖と富士山を望む。

1_1024x768_3

またまた樹林帯。
冬の樹木も絵になるものだ。

2_1024x768_2

一歩間違うと遭難する危険があるが、
リボンを見落とさなければ大丈夫。
日ごろから登山道の整備をしてくださる方々に本当に感謝です。

3_1024x764_2

不思議な木を眺めながら下る。

1024x767_3

下りばかりで、だんだん飽きてきたころに、登山道入り口にたどり着く。

とても贅沢で、充実した3日間であった。

くたびれたので残念ながら西沢渓谷には行けなかったが、日を改めて歩いてみたいと思う。紅葉シーズンは混むそうだが、シーズンをはずして入山したいものだ。

次回は雲取山と”日本のシルクロード”こと雁坂峠あたりをねらってみたい。

お疲れ様でした。

2014年11月22日 (土)

十文字小屋、三宝山、甲武信ケ岳から甲武信小屋(泊)初冬の奥秩父登山(その2)

 深田久弥は、甲武信ケ岳について

 「昔から名山とたたえられた山ではない。頂上に祠もなければ、三角点もない。奥秩父でも、甲武信より高い峰に国師や朝日があり、山容から言ってもすぐ北の三宝山の方が堂々としている。甲武信は決して目立った山ではない。」

と述べ、その理由について

1 「拳」につながる名前、歯切れのよさ
2 甲州、武州、信州の三国の継ぎ目に位置している
3 千曲川、荒川、笛吹川の三つの源流がでている

を挙げている。

 朝5時の朝食を済ませる。外は-4℃である。下界では何かと暖かいところばかり好んでいたためか、この程度の気温でも身にしみる。

5_1024x766

寒さにかまけて8時までのんびりしてしまった。
小屋の裏から出発する。
今日も自分だけの登山道になりそうだ。

Photo_4

Photo_5

カラマツのトンネルを一人くぐり続ける。

Photo_6

午前中、唯一展望を楽しめる大山直下の鎖場気合を入れて登る。
このコースには三ケ所の鎖場がある。
それぞれの場所でここで、逆方向から下る登山者とすれ違う。
カモシカのような速さで下っていった。

1_1024x768_4

2_1024x768_3

3_1024x768_3


5_1024x768

7_1024x768_3

大山山頂
ここからは、上州や秩父の名峰である武甲山が望める。
しばし、景色を楽しむ。

3_752x1024

武信白岩山山頂は、崩落の危険があり登れないが、
その直下に奇岩「尻石」に立ち寄る。
あまりのリアルさに、決して忘れない巨岩である。

Photo_7

引き続きカラマツのトンネルをくぐり続ける。

1_1024x754

三宝山山頂に到着する。

2_1024x768_4

ここは2,483mであり、甲武信ヶ岳より8mほど高い。
一等三角点も設置されている。

木暮理太郎によると、現在の甲武信ヶ岳のことを元々「三方山」と呼んでいたが、明治期に陸軍陸地測量部の測量が入ってからこちらの山を「三宝山」と呼ぶようになったという。

Photo_8

カラマツのトンネルをくぐる。

4_709x1024

今回の目的地甲武信ヶ岳山頂到着。
堂々たる標識です。
1_1024x739

ここは、見晴らしもよい。

足を止めると寒いが、ついつい長居をしてしまった。

1_1024x753

5_1024x745_2

下ってすぐに甲武信小屋がある。

6_1024x755

小屋の新名物「蛙ストーブ」に直行する。
夜中に動き出したりしないだろうか。

8_1024x755

受付終了後、指定された布団に向かう。
ひどいときは、一枚の布団で三人が寝るそうである。
今夜は幸い、一人一枚で寝られそうだが、
実に寒い。

荷物を置いて、千曲川源流に行きたいと思っていたが、
小屋に入ったら気が抜けてしまった。

夕食後、水筒を湯たんぽにして、すぐに寝てしまった。

 

信濃川上駅から十文字小屋(泊)初冬の奥秩父登山(その1)

 11月中旬、甲武信ケ岳を目指して信濃川上駅から入る。

9:44 信濃川上駅到着。
長野県川上村は日本の「高原野菜発祥の地」でもある。

さらに忘れてはならないのが、
戦時中の悲しい歴史をもつ「川上犬」だ。

1_1024x768

登山スタイルの金次郎さん。
せっかくですから、ご一緒に登りません?

2_1024x768

味のある看板。
しばし見上げる。

1_1024x741

「ひぐれ」と書いてあるが、
朝から営業中。

おいしかった。

3_1024x768

タクシーに乗らず村営バスを待つ。

768x1024

梓山バス停下車。

3_1024x768_2

のんびり歩く。

4_1024x768
静かに歩く。

1_1024x768_1024x768

毛木場駐車場到着。

2_1024x768_2

登山計画書提出。

1024x768

いよいよ開始、
誰もいない。

1_1024x768_3

静かな登山道。
幕営したくなる場所だか、キャンプ禁止。

1_754x1024

観音様、お寒くないですか。
ご尊顔が影になってなって、ごめんなさい。
この一里とは、日本のシルクロードこと、秩父往還の街道筋です。
その昔、秩父は養蚕が盛んな地域で、はるか山越えをして塩山まで繭をはこんだそうです。

Photo_2

山のご褒美。
どんな銘酒も、かなわない。

1024x768_2

ふと見上げると、青い空。
空ってこんなに青かったっけ、
お気に入りの一枚です。
(ぜひ、クリックしてください。)

1024x725

あと一時間。

1024x756

最後の登り、
ラジオも熊よけ鈴も消して、静かに歩く。

1024x767

突然、薪の燃えるにおい。
ホッとしました。
小屋は目の前です。

3_1024x735

4_1024x768_2

十文字小屋到着、ここの宿泊は念願でした。
一礼して中に入る。
今日の小屋泊りは、私一人。

1_1024x757

4_1024x756

6_1024x764_2

7_1024x768

この”観る暖かさ”が、たまりません。

素敵なランプの宿「十文字小屋」、おすすめです。

トイレもきれいです。

皆様もぜひ。

2014年11月21日 (金)

「人に裏切られたことなどない」~高倉健~

○人が心に想うことは

   誰も止めることはできない。

○何をやったかではなく、

   何のためにそれをやったかである。

    今それが大切に思えてきている。

○人に裏切られたことなどない。

   自分が誤解していただけだ。

○すべて・・・

   私の不徳のいたすところです。

    ~高倉 健~

結果よりも、”プロセス”を大事にする男でありたい。

木暮理太郎と秩父山塊

 奥秩父を登っていると、必ず偉大なる先人として登場するのが木暮理太郎と田部重治である。山と文学については深田久弥の『日本百名山』が有名であるが、今回の奥秩父登山を機会に、木暮理太郎の復刻版『山の憶い出』と、田部重治の『山と渓谷』を購入し、読むこととする。今回は「奥秩父の父」と呼ばれる木暮理太郎についてまとめる。

○木暮理太郎
 1873(明治6)年、現在の群馬県太田市に生まれる。東京帝国大学文学部哲学科中退。日本山岳会創立以前から一人黙々と山を歩き続け、小島烏水(日本山岳会初代会長)、田部重治(英文学者)らの影響で、主として地図がまだ作成されていないころの「探検時代」の奥秩父の山々を歩き、その魅力を紹介した。これは、日本山岳史上「秩父時代」と呼ばれる。また、山岳展望や登山史の研究、地名の歴史的考証をおこない、人文的な山岳研究をおこなった。さらにヒマラヤ研究者としても有名であり、著書『山の憶ひ出』のほか『中央アジアの山と人』などの研究論文がある。第三代日本山岳会会長に就任したが、1944(昭和19)年急逝した。

 Photo

 早速、復刻版『山の憶い出』を開く。奥秩父の山々について、実に生き生きと記されている。地図を片手に私のような文系の一般登山者も楽しめる本である。新仮名遣いに修正をされているが、ただ漢字の読み方が難しいことを除けば・・・

2014年11月20日 (木)

「10分でも会いたい」~高倉 健~

「10分でも会いたい」

  ~高倉 健~

 健さんのこのセリフ、あこがれます。

だって「不器用ですから・・・」

2014年11月19日 (水)

「富士山は寂しいぞ」~高倉 健~

「富士山は寂しいぞ」

  ~高倉 健~

 また一人、銀幕の大スターが天国へと旅立った。

 武田鉄也は高倉健をたたえるために、「健さんは富士山だから、立っているだけで絵になる」と言うと、高倉は「富士山は寂しいぞ」と笑って答えた。
 これについて武田は、「この人は、寂しい思いをいくつも抱かれたんだろうな」と思った。(19日読売新聞朝刊より要約)

 富士山も高倉健も凛とした美しさがある。だれもがその美しさに惚れ込む。しかしその美しさの陰には、たくさんの内面の寂しさがあったのだ。

 この夏、富士山のよく見える山小屋の前で、何時間も富士山を眺め続けていた。なぜ自分がそうしたのか、その理由にやっと気づいた。

2014年11月18日 (火)

我慢するより「辛抱」しよう

FBで見つけた言葉

嫌なことを
ただ堪え忍ぶのが
「我慢」

好きなことのために
堪え忍ぶのが「辛抱」

我慢の中には
「不満」があります

辛抱の中には
「希望」があります

我慢はいずれ
「爆発」します

辛抱はいずれ
「実り」ます

我慢はしないほうがいい
辛抱だったらしよう

2014年11月17日 (月)

松涛明『風雪のビバーク』(二見書房、1999)

一月六日 フーセツ

全身硬ッテ力ナシ 何トカ湯俣迄ト思ウモ有元ヲ捨テルニシノビズ死ヲ決ス
オカアサン
アナタノヤサシサニ タダカンシャ、一アシ先ニオトウサンノ所ヘ行キマス
何ノコーコウモ出来ズ死ヌミヲオユルシ下サイ、井上サンナドニイロイロ相談シテ

サイゴマデ タタカフモイノチ 友ノ辺ニ スツルモイノチ 共ニユク(松ナミ)

 我々ガ死ンデ 死ガイハ水ニトケ ヤガテ海に入り、魚ヲ肥ヤシ 又人ノ身体を作ル、個人ハカリノ姿 グルグルマワル 松ナミ

  ~松涛明『風雪のビバーク』(「二見書房」213~214頁 1971年、1999年)~

 十数年ぶりにこの本を棚から取り出す。 

 松涛明とは、大正11年仙台に生まれ、旧制府立第一中学校から東京農大に学ぶ。中学時代から登山に熱中し、昭和13年7月東京登歩渓流会に入会する。以来つねに先鋭なクライマーとして活躍した。
 昭和24年1月風雪の槍ヶ岳、北鎌尾根において岳友とともに遭難死した。行年二十八歳であった。

 通常、登攀(クライミング)では2人組みとなり、相手のことを「ザイル・パートナー」と呼ぶ。それはお互いが確実に生き残るためである。

 この文章を読むたびに、常に松涛から問いかけられ続けている気がする。

 「あなたには実社会においても『ザイル・パートナー』はいますか」

と。

 

2014年11月16日 (日)

甲武信ケ岳、無事下山!!

 3日間天候に恵まれた中、三県踏破を目指して十文字峠(2,035m)から甲武信ケ岳(2,475m)を登り、無事下山した。

 絶景あり、ハプニングありでとても充実した三日間であった。

 夜の寒さは、予想はしていたものの想像以上であった。日中、動いている時は汗ばむが、午後になると気温は一気に下がる。隙間風の吹き込む山小屋での夜は、布団に包まっていてもすっかり冷やされてしまった。もし、テントであったならば地面の寒さも加わり、ほとんど寝ることはできなかったであろう。

 とは言っても、私が冬季単独テント山行に挑戦するには、まだまだ体力不足である。昔の記憶だけでは山に登れぬものである。もう少し体力強化し、出直したいと思う。

 詳細は、データの整理後にアップします。

Photo

 ぽっかり浮かんだ富士山。

ズームで撮ったのでボケていますが、あしからず。

2014年11月13日 (木)

山は冷えるだろうな。

 明日から山に入る。また最近、仕事が思うように進まずイライラしている。

 天気図を見るとかなり冷え込みそうだ。少しでも軽くしたいと思っても、何かと重装備になる。山小屋に泊まるため、食事やテントは持ち上げずに済むが、ソロで入るのだから仕方がない。

 今夜は重役との食事会。それも幹事だ。ノンアルコールだが帰りが遅くなりそうだ。早めに帰宅して準備をしよう。

 いやなことは、山で忘れるに限る。

 考えない、考えない。

2014年11月12日 (水)

「本当の強い人」~『ありがとう、先生』より~

本当の強い人は、

人にやさしくできる人

  -千葉県「さんさんママ」さん(38歳)

 卒業式で言われた言葉を、今になり思い出しました。地震のあと、東北の人たちが助け合う姿や関東の人が節電しているのを見るたび、日本人は本当に強い人だと実感しています。

     ~『ありがとう、先生!Vol.2』(20頁)~

 私も、もっと相手への想像力を働かせ、思いやりがあり、やさしくできる「本当の強い人」になりたい。

2014年11月11日 (火)

「笑うから楽しいんだ」~『ありがとう、先生!』より~

楽しいから笑うんじゃない

笑うから楽しいんだ

   -愛知県『ますここ』さん(28歳)

 内気でいつも暗い顔をしていた私はクラスに友達がなかなかできず、そんなとき、先生がこの言葉をかけてくれました。

 今年、私はたくさんの友達に囲まれながら結婚します。私自身を変えてくれた先生に感謝です。

     ~『ありがとう、先生!Vol.2』(33頁)

 女性の美しさは、人それぞれである。「笑顔美人」、「クール・ビューティー」など、たくさんの美しさがある。それも、その人の個性といえよう。

 男性であれ、女性であれ、笑顔を嫌う人はいない。

 どうしても表情の硬い部下に、明日にでも声をかけてあげよう。

2014年11月10日 (月)

「これでまた一つ強くなれます」~『ありがとう、先生!』より

辛いことがあったら感謝しなさい。

 ”これでまた一つ強くなれます”と

    -神奈川県「にこる」さん(27歳)

 中学の先生が、卒業式にくれた言葉です。あの時は、「どうしてつらいのに感謝なの?」と思っていたこの言葉が、社会人になり、妻になり、母になった今、やっと理解できるようになりました。

    ~『ありがとう、先生!Vol.2』(19頁)~

 つらい思いをすると、何かと運命を呪ってしまう。
でも、つらい思いをすれば、一つ自分が成長し、その分人に優しくなれるんだよね。

 前進しましょ!

「裏切られても、信ずるしかない」~『ありがとう先生』より~

裏切られても、
裏切られても、
信ずるしかない

 -新潟県「くりりん」さん(23歳)

 高校の先生の言葉です。3年前に亡くなり、もう会うことはできませんが先生が大切にしていたこの言葉をしっかり受け継いでいこうと強く感じています。

    ~『ありがとう、先生!Vol.2』(9頁)~

 人に裏切られることは悲しいことである。そして許せないことである。
それでも信じ続けること。
 恨んだり、相手を攻めたりすることは、簡単である。
それよりも相手を信じ続けることのほうが、とってもかっこいいね。

2014年11月 9日 (日)

十文字、甲武信小屋泊のぜいたく登山計画中

 週末から有給を使って甲武信ケ岳登山に出かける予定だ。長野、埼玉、山梨の三県を通過する。本来なら一泊で大丈夫なコースなのだが、この時期は日が暮れるのも早いし、どうしても一度は十文字小屋に泊まってみたいので二泊にする。特に十文字小屋のランプでの食事、甲武信小屋の名物カレー、今からとても楽しみにしている。夜には流星群を観られるだろうか。アイゼン持参は当然だが、写真もたくさん撮りたいので、今はデジイチと三脚を持ち上げるか悩んでいる。下山後は、西沢渓谷で滝と紅葉を眺めて、温泉で汗を流す。

 山に登っている時間は、足元のことだけしか考えない。そして登った人にしか味わえない絶景を堪能する。この時間だけは、頭の中にへばりついた悩みから開放される至福の時間となるのだ。少々風邪気味なのが気になるが、週末に向けてがんばろう。

 

2014年11月 8日 (土)

怒りを力に変えること~中村教授から学ぶ~

 今日は、中村教授側で考えてみたい。青色発光ダイオードの発明について、何度も「怒りを力に変える」ということを述べていた。

 中村教授に限らず、人であるならば誰でも許せないことの一つや二つはあるものだ。それを力に変えることは、相当な努力が必要だと思う。自分を振り返り、私にも許せないことがたくさんある。たとえば人の裏切り、罵声暴言を受けたことなど数え切れないほどある。

 それでも私は、常に人には笑顔であり続けたい。時にそれ自体に息苦しさを感じることもある。中村教授のように怒りを力に変えることなど、私のような未熟者には至難の技だ。ただ我慢し、譲歩し、妥協するだけで精一杯である。

 「怒りを力に変えること」、これは天才にのみできることだろうか。私のような凡人には難しいことだ。

2014年11月 7日 (金)

日亜化学工業のコメント、さすがです。

 中村教授は、すでに15年前に弊社を退職された方で、弊社は中村教授に何かをお願いするような考えは持っておりません。また、同教授は今回の受賞・受章について、弊社歴代社長と弊社に対する深い感謝を公の場で述べられておられ、弊社といたしましては、それで十分と存じております。
 中村教授が、貴重な時間を弊社への挨拶などに費やすことなく、今回の賞・章に恥じないよう専心、研究に打ち込まれ、物理学に大きく貢献する成果を生み出されるようお祈りしております。

 実に銘文である。
「クスッ」と笑ってしまったのは、私だけではないだろう。

 もし私が、会社側の立場であったとしたら、これだけ見事な文章を書くことは絶対にできない。

 世の中には、頭のいい人がたくさんいるものだ。

2014年11月 6日 (木)

おちょこで一杯

 自分の部屋でほろ酔い気分である。

地元の銘酒をちょっと温めて、ゆったりと飲む。

BSプレミアム「にっぽん百名山」を観ながら飲んでいる。

 ささやかだが、最高の宵である。

2014年11月 5日 (水)

天寿を全うして

 祖母の葬儀より帰宅した。無事に私たち一族が笑顔で送ることができた。祖母にはずいぶんとかわいがってもらった。祖母の命日と私の誕生日が一緒となったことに、嬉しさすら感じる。

 祖母と母とは、血のつながりはない。母が高校一年のときに実の祖母が亡くなった。しかし、まだ叔母や叔父にあたる妹や弟が小さかったため、後妻として母の実家に入ったのだ。母は、当時は多感な時期であり複雑な気持ちであったそうだが、無事に私たちを嫁に出してくれた立派な母親だと常々言っている。

 祖母は、大正の初めに築地で生まれ、神田で育った。いわゆる「大正乙女」である。もちろん現在の築地が日本橋の魚河岸より移転する前ことであり、当時は御大尽の娘として何不自由なく育てられた。しかし、若かりしころ腎結核を患い、当時の医学では子どもを生んではいけないと言われたそうである。また、急に5人の母親として田舎の家に入ることとなり、本人もかなり驚きと抵抗があったそうだが、現在では素晴らしい8人の祖母、11人の曾祖母となった。

 叔父が子ども時代からの写真をスライドとして上映してくれた。私は初めて観たのだが、あまりに古すぎて歴史絵巻を見ているようであった。祖母は「娘時代は『神保町小町』といわれていたのよ」と笑いながら言っていたが、確かにそのころの写真をみると、美人でおしゃれであった。

 家族葬として湿っぽさは一切なく、笑い声に囲まれた葬儀であった。今頃は無事に天国にたどり着いたことであろう。

 

« 2014年10月 | トップページ | 2014年12月 »