10月31日放送「クローズアップ現代」を観る。タイトルは「人間のための経済学 宇沢弘文 格差・貧困への処方箋」であった。
1 番組案内より
昨年9月に亡くなった経済学者・宇沢弘文。ノーベル賞候補と目された世界的研究者であった。経済効率優先の社会を批判、環境・教育問題でも活躍。人間社会の幸せを考えた人生とは。
2 番組要約
宇沢教授は、従来の経済学者の枠にとらわれず、現場主義者として「行動する経済学者」として取り組んだ。水俣病では患者らからその苦しみを聞き、成田空港問題では国と住民との調停にあたった。彼の思想は「すべての人が幸せに生きられる社会」、「経済学は現実の人を幸せにするものでなければならない」、「人間らしく生きていくということが可能になる制度を考えていくのが我々経済学者の役割」であり、世界から高い評価を受けた。宇沢は「経済は単に富を求めるものではない」とし、現在でも地域再生、被災地復興等に息づいている。格差や貧困が深刻で出口が見えない日本で「人間のための経済学」を考え続け、さらに中学・高校の教科書の編修にも携わった。
宇沢は、「人間のための経済学」を求め続け、市場競争重視の経済について「市場競争は、必ず格差を拡大し、すべての人を幸せにすることはできない」として批判した。これは資本主義や社会主義を超えた新たな経済学の提唱であった。宇沢は「経済学の原点は人間、人間でいちばん大事なのは実は『心』なんだね。その『心』を大事にする」、「一人一人の人間の生きざまを全うするのが、実は経済学の原点でもあるわけね」と語る。神野直彦東大名誉教授は、宇沢の理論について、「社会の病を治す医者になるための経済学であり、その病理をいかに治すにか処方箋まで書こうとした」たたえる。
宇沢は1956年に渡米し、1964年に36歳の若さでシカゴ大学教授に就任した。ノーベル経済学賞を受賞したジョセフ・スティグリッツ教授も彼から教えを受けた一人である。宇沢は大学で、新自由主義を提唱し、「市場競争は効率的」とするミルトン・フリードマン教授とも深く対立した。フリードマンの理論に対し宇沢は、「いきすぎた市場競争は、格差を拡大し、社会を不安定にする」、すなわち格差問題を全く顧みない市場原理主義を批判したのである。その後、1968年に市場原理主義を重視するアメリカから失意の帰国をしたが、日本で目にしたものも、「経済成長が必ずしも幸せにつながっていない現実」であった。その後、東大教授に就任し1974年には「自動車の社会的費用」を発表した。これは豊かさの象徴である自動車産業の発達が、公害問題や交通事故等の社会に莫大な影響を与えていることを指摘したのである。
宇沢は「経済成長と幸せな生活を両立させるにはどのようにしたら良いのか」を考え続け、「社会的共通資本」を重視する理論を打ち立てた。これは、これは単に公共財を指すのではなく、市場競争主義の対象としてならないものをいう。具体的には、医療、教育、自然、道路・交通機関、水道・電気など「人が人間らしく生きるに欠かせなもの」を指す。これらは市場競争に任せず、「人々が共通して守る財産」とする考え、これらの基盤を確保した上で企業による市場競争があるべきとする考え方である。宇沢に教えを受けた学生たちは、現在でも日本の最前線で活躍している。
宇沢の理論は、「社会の表側だけではなく、裏側にも目を向けること」を重視し、中学・高校の教科書も編修している。また彼の教え子たちによって宇沢イズムは、地域振興や被災地復興の現場で反映させ続けている。
3 感想
現代社会の疲弊は何から生まれているのか。これは、やはりフリードマンの「新自由主義」を重視しすぎた結果であるといえよう。「人間が人間らしく」と、ごく当たり前のことが当たり前にできない社会は、格差のみならず国民を疲弊させる。
この番組を観て、真っ先に考えたのはアダム・スミスの「共感」という考え方だ。新自由主義は、この概念が欠落している。もっと早く宇沢教授について知っていれば、直接教えを受けることも可能であったであろう。自分の無知が後悔である。今となっては、直接ご講義を聞くことは出来なくても、脱・フリードマン理論を目指し、必ず近日中に教授の著書を読んでみたいものである。
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