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2015年2月 4日 (水)

死は「穢れ」か?

 大学院時代の恩師教授から、寒中見舞いのご返信をいただいた。

 その手紙には、昨年お父様を亡くされ、最初は喪中はがきを出す予定であったが、「喪に服する」ということに疑問を感じたという。もちろん「死」は人間にとって悲しいことである。しかし人間にとって必ず訪れる「死」は、人生の一部である。それを「穢れ」として扱う習慣や行為に疑問が生じたということが書かれていた。

 人間にとって必ず訪れる「死」を「穢れ」として扱うこと。もちろん文化や伝統として尊重するということも大切だ。一方、教授のおっしゃることも理解できる。これはとても哲学的なテーマである。しかし、「喪に服する」ことと「穢れ」として扱うことには根本的な違いがあるのではないだろうか。

 大学院時代、リベラルな考えをお持ちの教授から直接ご指導をいただき、議論をした日々はとても充実していた。久しぶりに教授からご指導を頂きたく、近日中に研究室にお伺いしよう。

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コメント

穢れではないと思います
私の実家は仏式でしたが、嫁ぎ先は神式
神式では、亡くなると神になるそうですから

喪に服するのも、亡くなった故人の意思に沿えばいいのでは?
というのが合理主義の私の考えです

私は死んだら、葬式はみんな集まって美味いもん食ってワイワイガヤガヤのパーティにせよ!
と遺言してあります

だって、もしかしたら可愛いネーチャンいっぱいの天国とやらに行けるかもしれないじゃないですか?
そしたら死は悲惨なできごとではなくて、幸せへの第一歩

茶化した形になってしまい申し訳ありません
変態知人の私見でした

まんたろう様、コメントありがとうございます。
全然茶化してはいませんよ。
そうですね。
時代は変わったのですから、
故人の遺志を尊重することも大切ですね。
私の葬儀も、大宴会にしてもらいたいです。

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