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2017年1月

2017年1月28日 (土)

映画『沈黙-サイレンス-』

 以前も書いたが、これだけは見逃したくなかった。

この映画には、原作以上の内容も加わっており、監督の努力に頭が下がる。

 敬虔なクリスチャンの遠藤周作ですら、「自分はキチジロー」だと宣言していた。

「キチジロー」の跋扈する世の中、自分だけは「キチジローではない。」と考えること自体、思い上がりなのかもしれない。

 

映画の最後のシーンは印象的。

原作にも言えることだが、

1865年の信徒発見のシーンも加えてほしかった。

2017年1月22日 (日)

「探求若者ことば」〜朝日新聞〜

1月15日『朝日新聞』記事より
〈記事要約〉
1 ことばの変化
   昨年ベネッセコーポレーションが初めて実施した「現代人の語彙に関する調査」で、高校生が知っていて親世代が知らない世代感ギャップの大きいことばの筆頭として、英語で「尊敬しない」などの意味の「disrespect」から生まれた「ディする」が挙げられた。2位は「イミフ(意味不明)」、3位は「りょ(了解)」、4位は「きょどる(挙動不審な動きをとる)、5位は「ぽちる」であった。
  東京外大名誉教授の井上史雄は、「ことばは常に合理的な方向に向かって変化するもので、使用頻度が高いことばほど短くする傾向がある」と解説する。とりわけ若者ことばが生まれる背景には、インパクトを与え、仲間意識を高める、という意図があるという。
中には形はそのままで、意味を変えることばもある。2015年に文化庁が発表した「国語に関する世論調査」では、「やばい」という本来は盗っ人仲間が「あぶない」「まずい」という意味の隠語が、10代の9割が「とてもすばらしい」と肯定的な意味でとらえていた。

2  井上名誉教授の4分類
(1)一時的な流行語・・・(老いたら使わない・のちの若者は使わない)
         「チカレタビー」
         「アジャパー」
(2)生き残った流行語・・・(老いても使う・のちの若者は使わない)
         「アッシーくん」
         「ネグる」
(3)キャンパス用語・・・(老いたら使わない・のちの若者も使う)
         「早弁」
         「カテキョ」
(4)確立した新語・・・(老いても使う・のちの若者も使う)
        「うざい」
        「ださい」

3 「嘆き」ではなく「変化」
  ことばの乱れは、いまに始まったことではなく「枕草子」や「徒然草」にもその変化や嘆きが記されている。井上名誉教授は、「乱れではなく、変化ととらえる」ことを提唱し、若者もたちも時と場合によって「上手に使い分けている。目くじらを立てず、ことばのうつろいを楽しんでみてはいかがですか」と述べている。

4 若者ことばの特徴
(1)形を変える
      ① 省略
         「ぱねぇ」 半端ではない→半端ない→ぱない(パネェ)
         「り」 了解→りょ→り
         「フロリダ」 風呂(に入るため、一時的にLINEから)離脱
     ② 派生
        「ゲスい」 ゲス+い→ゲスい(下品だ。江戸時代からある言葉)
         「じわる」 じわじわ+る→じわる(面白さなどがじわじわ感じられる)
         「神る」 神+る→神る(神のようにすばらしい状態になる)
    ③ 倒語
         「パイセン」 センパイ(先輩)→パイセン
    ④ 複合
         「黒歴史」 黒+歴史→黒歴史(なかったことにしたい過去)
         「飯テロ」 飯+テロ→飯テロ(夜中に料理の画像をSNSに投稿)
(2)意味を変える
        「やばい」 「あぶない」→「すばらしい」
        「微妙」 「どちらともはっきり言い切れない」→「あまりよくない」
(3)借用
      ① 方言から
        「違かった」 東北地方で「違った」の意味
        「うざったい」 東京・多摩地方で「鬱陶しい」の意味
        「むかつく」 京阪地域で「癪にさわる・腹が立つ」の意味
      ② 外国語から
        「デフォルト」 英語 default (標準)から「普通の状態」
        「アモーレ」イタリア語 amore(恋人)
(4)ぼかし
        「〜的には」 (例)わたしは→わたし的には
        「〜みたいな」 (例)行きたくないよ→行きたくない、みたいな
        「〜とか」 (例)本を読む→本とか読む
5 世代感ギャップの大きいことば
    〈第1回「現代人のの語彙に関する調査」から抜粋〉
        「イミフ」・・・意味不明
        「セルカ」・・・カメラで自分を撮影すること
        「ディスる」・・・けなす
        「秒で」・・・すぐに。急いで
        「ワンチャン」・・・低い可能性があること
        「ぽちる」・・・ネット通販で購入ボタンを押す
        「きょどる」・・・挙動不審な行動をとる
        「とりま」・・・とりあえず、まあ

【感想】
  この記事を書きながら、若者ことばの多さに驚いた。もちろん今の自分が無理してまでも若者言葉を使うつもりもない。しかし、彼らの言葉を理解できないことには、悔しさを感じる。確かに自分も若かりし頃に、多少なりとも当時の流行語を使っていた。同じようにそれらを使用する若者たちを責めるつもりもない。TPOさえ間違えなければ、それも彼らの文化なのだ。
 なお、この記事を書くにあたり、PCで難なく入力することができた。変換リストに、これら若者ことばが加わっていたことも、さらなる驚きであった。

2017年1月21日 (土)

キラキラ筑波山

 前日には関東地方も多少雪が降った。そこでトレーニングを兼ねて筑波山に登る。

 美人で美心さんの山仲間がいたにも関わらず、途中で3回ほど転倒した。特に山頂では、頭から一回転してしまった。恥ずかしかったが、怪我が無かったのが幸いである。

 自分のバランス感覚の無さに、深く反省。もう若くはないのだ。

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 日ごろのトレーニングを大切にします。

2017年1月15日 (日)

「偽善っていうのは、言葉についても言えること」~三島由紀夫~

偽善っていうのは、言葉についても言えることですよね。

平和って言えば、その内容を問わないんです。

言葉にね、寄りかかってね。

  ~三島由紀夫『肉声テープ発見』 1月12日読売新聞~

・・・・・・・・・・

政治、経済、外交、国防。

どれも、政府の果たすべき重要な業務内容だ。

三島は平和憲法を「偽善」と称した。

市ケ谷駐屯地に乱入した際も、

「戦後の日本が、経済的繁栄にうつつを抜かし(中略)、
その場しのぎと偽善に陥り」

と書き、それを掲示した。

一方、彼の言う「偽善」であっても、日本は戦争をおこさない国家として繁栄している。

ドナルド・キーンは、「あいまいさ」を日本の美徳と捉えている。

三島が生存していれば、現在の日本をどのように称するだろうか。

2017年1月14日 (土)

「日本語のいいものと、漢語のいいものと」~三島由紀夫~

漢文の古典の教養がなくなってから
日本人の文章というのは非常にだらしがなくなった。

私は、日本語のいいものと、
漢語のいいものと、
なるたけ自分で好きな言葉、
それだけで花束をつくりたい

 ~三島由紀夫『肉声テープ発見』 1月12日読売新聞~

・・・・・・・・・・

 学生の頃。漢文の授業が好きだった。

最近の大学入試でも、漢文を含めない学校が数多い。

 魯迅は、中国語として読むことのできなかった四書・五経を、日本流の「書き下し文」にして理解したという。

 漢文をもう一度勉強したくなった。

2017年1月10日 (火)

「大切なものを抱いて、進むんだ。」~伊集院静~

私は大人と呼ばれるようになってもひとつだけ守り続けようと思ったものがある。
それは子供の頃からずっと大切にしていたものだ。

大切なものを手離せば、
君自身を失うことになるんだ。
それが君の個性だ。

    ~伊集院静『大切なものを抱いて、進むんだ』~
    (1月9日 サントリースピリッツ株式会社 紙面広告)

・・・・・・・・・・

「大切なものを一つ手に入れたら、何かひとつ大切なものを手放さなければならない。」

と今まで自分は教わってきた。

「何かひとつを手放すこと」が、「大人になることだ」と信じていた。

しかし伊集院静氏は「大切なものをいつまでも抱いて生きること。」と述べた。

このような生き方は、私にはできなかった。

さらに彼は、

「大切なのは品性だ。ひとつひとつ学んでいけば、
いつか誰かのために生きることができる素晴らしい自分に出遭えるはずだ。」

とも言っている。

新成人たちよ、

何があっても「品性」だけは失うな。

がんばれ。

2017年1月 9日 (月)

丹沢縦走(その3)~尊仏山荘・塔ノ岳・大倉尾根~

 以前に尊仏山荘を利用したときは、宿泊者の数も多く、自分としてもベルトコンベアーに乗せられた気分であったが、今回はオーナーのお心遣いを強く感じた。

 昨晩は友と軽く乾杯をした後、8時の消灯を待たずして布団にもぐりこむ。お互い、普段ならまだ仕事中だと笑いあった。

 いくらアルコールの力を借りて早く寝たところで、そんなに長く寝ることはできない。夜中に何度か目を覚まし、下の階に降りた。しかし、夜中であってもフロアは暖かくしてあった。このような細かな配慮が、リピーターを増やすのであろう。

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 朝食前、夜明けを待つ。

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 「夜明け前」、なんと魅力的な響きをもった言葉であろうか。

 目の前には江ノ島が見える。

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 モルゲンロートの富士山も美しい。

 ここからは、北岳、間ノ岳、聖岳、悪沢岳なども良く見える。

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 オーナーからザックをお借りし、水を汲みに行く。ここの水場は、冬でも涸れることがない。

 コンビニで手軽にミネラルウォーターが手に入る時代であっても、やはり直接汲んだ山の水はうまい。

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 水場に向かう途中であっても、何度も富士山に向けてシャッターを切る。

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 午前8時に尊仏山荘に別れを告げ、大倉尾根を下る。

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 大倉尾根でも、富士山を眺める。

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 花立山荘前で「丹沢のチャンプ」にお会いした。5500回の登頂、おめでとうございます。

 これから尊仏山荘に向かうそうだ。

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 途中で休憩を入れたものの、ほぼ予定通りに下山することができた。

 今回の丹沢登山は、とても充実した3日間であった。

 これもすべて、よき友のおかげである。

 感謝。 

2017年1月 8日 (日)

丹沢縦走(その2)~青ケ岳山荘・臼ケ岳・蛭ケ岳・丹沢山・尊仏山荘~

いかにも深山の感じがしたのは、
そこから見渡すあたりが鬱蒼たる森林のためだったろう。

今はどうか。
蛭が岳から西に、ずんぐりした頭の檜洞丸がある。
丹沢で第二の高峰であるが、樹木で覆われていて道がなく、
怪峰とか秘峰とか呼ばれたものだが、今はどうか。

   ~深田久弥『日本百名山』~

 午前8時、青ケ岳山荘を後にする。二日目の行程は、ひたすらアップダウンを繰り返し、塔ノ岳山頂にある尊仏山荘を目指すコースだ。ネットの情報では、青ケ岳から塔ノ岳山頂までアイゼン着用と書いてあったが、実質的には檜洞丸からの下りで30分ほど使用しただけであった。とにかくこのコースは、アップダウンを繰り返す。一つ越えたと思えば、次のピークが待っている。

 まず最初に、臼ケ岳(1460m)を目指す。この山を遠望すると、確かに名前のとおり山頂が臼のように平らになっている。しかし、ここを目指すにために何度かガレ場を通過する。約2時間半後に到着した。しかし、ここは山頂ではない。正確には山頂直下の分岐とでも言った方が正確であろう。ここからの展望はなかったが、時折背後から顔を見せる富士の頂に、何度も勇気を授けてもらった。

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 さらに約2時間後、丹沢山塊の最高峰である蛭ケ岳(1672.6m)に登頂した。ここで持参したカップラーメンを食べる。普段はあまり感じないが、山で食べるカップラーメンは格別である。麓から担ぎ上げてきた水も、ずいぶんと少なくなってきた。深田が述べるように、山頂から周囲の深山を楽しみながらのんびりとするのが醍醐味である。山小屋ではコーラを購入し、友と分ける。これもまた、日ごろとは比較にならない爽快感、おいしさ、そしてありがたさを感じることができた。

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 起伏が激しいのはここまでで、ごごからは安定したルートとなる。時折見せる平坦な道は、今までの苦しさを忘れさせてくれる。

 不動ノ峰(1614m)を通過し、その先の休憩所も通過し丹沢山(1567m)を目指す。途中、次の宿泊先である尊仏山荘のシルエットが見えるが、なかなか到着することができない。

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 丹沢山山頂でも比較的長く休憩をとった。この時にはすでに予定時刻には到着できないことが予想できたので、むしろ開き直って、のんびりと過ごすことを優先した。

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 丹沢山を過ぎてからは、木道をひたすら進む。途中、夕日と富士を眺めながら、お互い宿での過ごし方など、笑いながら歩いた。

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 日没後ほどなくして、塔ノ岳山頂のある尊仏山荘に到着した。受付で青ケ岳山荘から来たことを話すと、とてもねぎらってくださった。

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 まずは大人の楽しみ。

 富士山を仰ぎながら二人で乾杯する。この瞬間がたまらない。
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 飲み終わるともに、夕食の時間となった。ここのカレーは名物といえよう。副菜として野菜や果物があるのもありがたい。

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 迷わず、お代わりをお願いした。

 

2017年1月 7日 (土)

丹沢縦走(その1)~西丹沢自然教室から青ケ岳山荘~

私が百名山の一つに丹沢山を取り上げたのは、
個々の峰ではなく、
全体としての立派さからである。

   ~深田久弥『日本百名山』~

 平成29年の初登山として丹沢山塊に登った。単に百名山のピーク・ハントを目指すのであれば、大倉やヤビツ峠からの往復で解決できる。そのコースについてはすでに何度も登っている。そこで深田が記すとおり、丹沢の魅力を満喫するために、今回初めて西丹沢から東へ縦走するコースを選択した。

 山仲間と5時にいつもの場所で合流、7時半に大倉バス停に到着した。そこの駐車場に車を置き、バスで渋沢駅に向かい、新松田駅を目指す。

 新松田駅では、高架橋から富士山を遠望できる窓が開いていた。私たちのような遠方から来たものにとっては、ありがたい心づくしだ。

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 新松田駅からバスに乗り、終点の西丹沢自然教室で下車した。11時に登山を開始する。ザックに3.8ℓの水を背負う。丹沢山塊には水場がない。特に冬場は湧き水が涸れてしまうことがしばしばある。全くの雪山ならば雪を溶かして水を作ることも可能なのだが、丹沢にはそこまでの積雪はない。

 登山開始後1時間でゴーラ沢に到着した。開始早々なかなかの急なコースでもあった。

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 休憩後、標識に従い東沢を登る。その対岸に転落した一台の車を発見した。後に山小屋で教えてもらったことだが、この車両は以前から放置されているとのことである。しかし、車両を発見したときは、同行した山仲間共々、正月休みに転落した事故車かと考え、すみやかに救助と緊急通報しなければならないと判断した。

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 今思えば、実に人騒がせな放置車両である。携帯電話は沢沿いのため圏外。無線機も谷間で使えない。また時期が時期なために、他の登山者とも出会わない。誰でも頭から転落していている車両を発見すれば尋常ではないと考えるはずだ。

 救助のため、近くに向かおうとするが、深い沢を降りるには持参したザイルの長さが不足している。具体的にどうするかと、同行している仲間と真剣に考えた。結局、山小屋に到着してから報告し、判断を仰ぐことにした。しかし、そうすることで結果としては、大いに幸いした。もしあの時、真面目に警察に通報していたらと思うと、今でも恥ずかしくなる。だが本音としては、回収できない車であるならば、せめてブルーシートを掛けるぐらいの対応をしてもらいたいという腹立たしさも、確かに残った。

 背負ったザックの重さを感じながら展望園地に到着する。地図に示されたコースタイムより、ずいぶんと遅れている。時折すれ違う下りの登山者に距離と時間を聞き、手元の高度計を何度も確認しながら到着した。

 富士のお山というのはいつ見ても美しい。これまでの疲れを吹き飛ばしてくれる。新しい年を迎えるにあたり、とてもすがすがしい気持ちにさせてくれた。

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 しばらく休憩をとった後、頂上を目指す。ずいぶんと自分の体力も落ちたものだ。荷物があるとはいえ、ペースがゆっくりとなってしまう。なんとか日没前に檜洞丸(別名:青ケ岳・1601m)に到着した。

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 登山とは不思議なものだ。疲れているときは10歩登って一休みすることなどしばしばある。その時は、なんでこんな苦しい思いをするのだろうと考えるのだが、下山すると、苦しみを忘れてしまうのだ。

 しばらく山頂で夕日と富士山を楽しんだ後、本日の宿である頂上直下の青ケ岳山荘に到着した。

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 青ケ岳山荘は、現在のオーナーが強いポリシーと信念を持って再建したものだ。詳細については公式HPを確認してもらいたい。私が宿泊前に読んだときは、ずいぶんと難しいオーナーが経営する山小屋だと感じた。そのことについて小屋番さんに質問してみると、確かにオーナーの強い信念はあるが、常識的に過ごしてもらえれば、まったく問題ないと答えてくれた。

 確かに小屋番さんのおっしゃるとおりの山小屋であった。練炭の掘りごたつで温まりながら、同宿するほかの方との軽い宴会中に、かつてこの小屋で使用していた石油ランプを点灯してもらった。ランプの光は温もりのある光だ。LED光線に慣れてしまっている自分にとっては、心が和む光でもあった。

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 小屋番さんから、撮影した写真を拝見させてもらう。その実力はプロ並みと言っても過言ではない。この写真をSNS等にアップしないのかと聞いたところ、特に考えていないという。

 確かにこの小屋の食事は質素だが、この小屋ではヘリコプターを使わず、全て歩荷による荷揚げで行っているという。もちろん食べ残しは厳禁であるが、男性の場合はもう少しと感じるかもしれない。

 この小屋の自慢は布団である。通常山小屋の布団は使い古され、独特のにおいがして、湿っていることが多い。しかし、この小屋の布団はとても清潔である。おかげで、その晩は快適な睡眠を得ることができた。本当に感謝である。

 翌日の朝食は、オーナー手作りのおいしい煮物をお腹に納め、小屋番さんの丁寧な見送りを受け、8時に丹沢山塊の縦走に向かった。

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2017年1月 6日 (金)

美女たちのお出むかえ in 丹沢(速報)

 "Diana Venus and Konohanasakuya-hime"

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美女たちとのご対面。

左から、月・金星・富士山(木花咲耶姫)が一直線。

大満足!!

2017年1月 5日 (木)

奥多摩縦走(その5)~御前山・惣岳山・月夜見山~

 御前山避難小屋を後にし、山頂を目指す。

 大した距離でないのだが、ずいぶんと体が重い。睡眠の失敗は翌日の行動に影響するものだ。もう若くないのだと実感する。

 程なくして山頂に到着する。御前山は大岳山と同様に、私の住む場所から特徴的な山容が目立つのだが、山頂は実に質素である。もちろん誰もいない。

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 休憩後、隣の惣岳山をめざす。

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 ここにも誰もいない。

 小河内(おごうち)峠のベンチで朝食の準備をする。

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 軽量化を図るため、いつものオプチマスではなく、トランギアのアルコールストーブだ。

 一見頼りなさそうにみえるが、一度火が付くと、安定した火力が得られる。もちろん多少の風でも消えない。

 朝食後、月夜見山に向かう。

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 「月夜見」という名前が魅力的だ。古来どんな貴人が歌を詠んだのだろうか。

 三等三角点が設置されているが、展望はない。

 次に三頭山(みとうさん)に向かう予定であったが、気持ちも体力も限界に来ていたのでこの月夜見山を、平成28年の登り納めとした。

 そのまま車道をひたすら歩き、数馬のバス停に到着する。

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 かなりハードな縦走であった。まだまだ修行が足らない。

 三頭山は、また別の機会に。

 26018歩、水1200cc消費。

2017年1月 4日 (水)

奥多摩縦走(その4)~御前山避難小屋~

 奥多摩避難小屋は、私の中ではトップクラスの小屋だ。

 仲間の間では、「別荘」と呼んでいる。

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 清潔な小屋のため、すでに何人かの先達さんがいると予想していたが、今夜は贅沢にも貸切できる。

 到着するとともに、お湯を沸かしウィスキーを飲む。なかなか体が温まらない。

寒さを覚悟していたが、やはり寒い。ガスランタンを持参しても良かったかもしれない。

 マットの上に寝袋を敷く。これは何度も雪洞の中でも使用した冬用ダウン・シュラフだ。このシュラフで何度も雪山で過ごしていたが、その過信と荷物を減らすことからシュラフカバーを持参しなかったことを後悔した。

 ダウンだと寝袋内の暖かさが外へ出てしまうのだ。寒さで安眠できず、夜中に何度も目を覚ましてしまった。足が冷えは安眠を妨げるのだ。

 確かに、「ザックに足を入れる」というのはどの本にも書いてあるが、シュラフカバーの方が、効果的である。持参しなかったことをつくづく後悔した。

 朝、日の出を拝む。その神々しさを眺めながら、多神教の日本人であることに感謝する。

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 小屋の横には湧き水がある。以前は煮沸して使用するようにとの看板があったが、現在はない。この寒さの中でも、凍結しておらずありがたい。

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 7時に出発予定であったがまだ暗い。結局8時近くに小屋を後にした。

 もちろん小屋をきれいに掃除してから、御前山に向かう。

2017年1月 3日 (火)

奥多摩縦走(その3)~鋸山・鞘口山~

 大岳山山頂を12時に発ち、宿泊地である御前山避難小屋を目指す。

鋸山山頂を経て、鞘口山に到着する。

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 予定より20分ほどオーバーした。残すは宿泊先である御前山避難小屋だ。ここから先が実につらい。ザックの重さが体にこたえる。このままツェルトでビバークしようかと何度も考える。

 私の登山は、基本ソロである。ソロ登山は自由でいいが、このようなとき一緒に励ます仲間がいれば後ろ向きの気持ちも晴れたのではないかとも考える。

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 何度も休憩を取りながら、予定の1時間遅れで避難小屋に到着する。なんとか日没前に到着でき、一安心。

 23232歩、水1200cc消費。

2017年1月 2日 (月)

奥多摩縦走(その2)~大岳山~

武蔵御嶽神社の御朱印をいただき、大岳山に向かう。

神社付近には宿坊が立ち並び、時折そこ住人の方々とすれ違い、古きよき日本を思わせる。

予定時間より若干早く、大岳山荘に到着する。

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十数年前の冬に宿泊した際は、ここからの夜景に大いに感動したものだ。

しかし、現在は休業中。

 百敷や
  古き軒端(のきば)の しのぶにも
  なほ余りある 昔なりけり

    ~順徳院~

【訳:宮中の古びた軒から生えている忍ぶ草を見ていると、朝廷が栄えていたことが思い出され、古きよき時代が偲ばれる】 

当時経営していたご夫婦は、お元気だろうか。

時間の経過とともに朽ちていく小屋に、もの悲しさを感じる。

そのまま荷物を背負ったまま、頂上に向かう。

この山は「出べそ山」とも呼ばれ、昔から東京湾に浮かぶ船が目印としていたという。

その特徴的な山容、私の住む内陸の埼玉からも良く見える。

「近くてよい山」というのは、このような山を言うのであろう。

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1時間ほど富士の絶景を楽しんだ後、鋸山と鞘口山に向かう。

2017年1月 1日 (日)

なんだって!雁坂峠で滑落だって?

<朝日新聞デジタルより>

1月1日の午前7時50分頃、埼玉県秩父市大滝の雁坂峠付近で同行の男性が滑落し、110番通報後に雁坂小屋に救助を求めた。その後、救助に向かった宿泊者の一人も同じ場所から滑落し、死亡した。
 秩父署によると、登山道の途中に幅1メートルほどの凍った沢が横切っており、2人はそこで足を滑らせ、約200メートル下に滑落したとみられるという。

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とても他人事とは思えない事故である。

遭難者が出た場合、110番通報と近隣の方々に救助を求めることは当然のことだ。

救助要請があれば、一刻をあらそい救助に向かう。

しかし、要救助者に加え救助者まで亡くなるとは、なんともやりきれない。

もちろん救助者は、無理な救助は二次災害を引き起こすことは十分理解していたと思う。

自分も日ごろから、どんなルートであってもザイル等を持参すべきだと痛感した。

・・・・・・・・・・

【1月2日 午前6時追記】

<@niftyニュース・時事通信より> 

 1日午後3時50分ごろ、岡山県玉野市にある常山の登山道で「人を刺した」と119番があった。県警玉野署員が駆け付けたところ、背中などから血を流して倒れている30~40代の男性を発見、岡山市内の病院に搬送したが約5時間半後に死亡した。通報したのは男で、同署は殺人事件として捜査している。
 同署などによると、男性は背中や太ももなどに刺し傷があり、血の付いた刃物が現場から見つかった。現場は車が通行できる登山道の中腹より上の地点で、近くには乗用車と軽自動車が1台ずつ残されていたという。
 同署は通報者が何らかの事情を知っているとみて行方を捜している。

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 おいっ!、いつから登山がサスペンス・ドラマになってしまったのだ。

 今まで、登山者は変わり者が多いことは知っていたが、まさか殺人事件まで起きるとは・・・。

奥多摩縦走(その1)~武蔵御嶽神社~

 明けましておめでとうございます。
皆さまにとって良き年になりますよう、心よりお祈り申し上げます。

 さて、この休みを利用し年末に登った奥多摩について報告します。 2_800x600

 ケーブルカーを降りると、味のある駅舎が現れる。 5_800x600

 展望台では太陽が昇るところであった。思わず手を合わせる。 2_800x600_2

 参道をたどると、立派な鳥居が現れる。

 パワースポットとしても有名な武蔵御嶽神社である。 6_800x600

 この神社は、現在の東京、埼玉そして神奈川の一部の旧国名である「武蔵」の名の起源となった。
 これから始まる登山の安全を祈願するため、参拝する。 7_800x600
 社伝によると、10代崇神天皇7年に古代日本の皇族である武渟川別(たけぬなかわわけ)が東方十二道を平定の時、大己貴命・少彦名命をお祀りしたのを起源とし、さらに奈良時代には、行基が東国鎮護を祈願し、蔵王権現の像を安置したという。
 その後中世では、山岳信仰の興隆とともに、関東の修験の中心となっていた。特に鎌倉時代の武将畠山重忠の崇敬は厚く、鎧・鞍・太刀などが奉納されている。
 慶長10(1605)年には、徳川家康が社殿を東向きに建造し、江戸城の守りとした。
 御祭神は日本武尊(やまとたける)などであるが、ご眷属には盗難除け・魔除けの神の「おいぬ様」、すなわち「大口真神(おおぐちまのかみ)」を従えている。
 最近では、この「おいぬ様」にちなみ、愛犬を連れて参拝する方も多い。 8_800x582

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 埼玉県秩父地方や奥多摩では、「おいぬ様」信仰がある。「おいぬ様」とは犬ではなく、今では絶滅した「日本狼」を指す。
 このような深山に入ると、「ひょっとしたら今でも」と想像したくなる。 10_800x574

 神社の参拝は、気持ちを一新させてくれる。そして今後の安全登山を決意する。

 若かりしころ、山でケーブルカーに乗ることなど考えられなかった。しかし乗車してみるとなかなか快適である。
 ザックには2.5リットルの水や宿泊道具を詰めているが、食事は登山用フリーズドライばかりである。私もすっかり「軟弱者」になったものだ。 

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