劔岳の測量~映画『劔岳 点の記』(2009年)を観ながら~
「北アルプスの南の重鎮を穂高とすれば、
北の俊英は剣岳であろう」
~深田久弥『日本百名山』~
剱岳から下山し、写真を整理しながら改めて映画『劔岳 点の記』(2009年)を観ている。剱岳は、かつて禁忌の山として恐れられていたが、明治40年陸軍参謀本部陸地測量部の測量官の芝﨑芳太郎らが、山案内人の宇治長次郎らに支えられて四等三角点を設置した。これほどまでにドラマチックで多くのアルピニストらを魅了し、挑戦された山はないであろう。
この山の標高については、いくつかの変遷がある。
・1907(明治40)年・・・2998.02m
・1930(昭和5)年・・・3003m
・1968(昭和43)年・・・2998m
・2004(平成16)年・・・三等三角点を設置し、GPS測量の結果2999mと、公式に決定
これだけでも、当時の測量技術が正確であったことが裏付けられる。
「雪を背負って登り、雪を背負って降りよ」
これは当時、行者間で剱岳について口伝されていた言葉である。それを手がかりに、柴崎と宇治長次郎らは前人未踏とされていた剱岳のルート開拓をおこない、無事測量を終えたのだ。この時の登頂ルートは、今では「長次郎谷」と名付けられ、剱岳を狙う難関ルートの一つとなっている。このルートは私などでは絶対に登れない。
この映画は、これまでに何回も繰り返して観てきたが、やはり実際に登った後では、映画の味わいも異なる。映像のみならず、それぞれの役者さんたちの演技は素晴らしい。特に、香川照之さんの演技には感服させられる。
皆様もぜひ。
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コメント
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いくら測量と言う使命があるとはいえ

あのつっ尖がった山を見たら・・・・・怖い
リスクマネジメントと言う意味では
ロマンを追い求める男の性ってヤツは
救いようのないシロモノなのかも知れませんねぇ
投稿: まんたろう | 2018年8月25日 (土) 06時32分
日露戦争後の国論として、
国内に前人未到の地があること自体が恥とされ、
生死を賭けて登頂した、いや、させられたのかもしれません。
今と違って、道具も乏しい中、
本当に頭が下がります。
投稿: しげまる | 2018年8月25日 (土) 10時41分