今年も山岳会の合宿で旧土湯峠周辺を歩いた。
この会場では、スノーシューまたは輪カンジキを履いて散策し、テントで宿泊する。
昨年、冬用シュラフとシュラフカバーだけで泊ったのだが、寒くて眠れず、テントの中でガタガタ震えていた。そこで、今年は夏用薄いシュラフも持参し、二枚重ねのシュラフで寝た。
また、寝る際は桐灰の「マグマ」を足裏、ふくらはぎ、腰、両肩にベタベタ貼った。
さすが自衛官お勧めのカイロだけあり、効果は絶大であった。
すると、翌日の足取りが実に軽やかであった。
今更ながら、やはり睡眠は大切だと実感した。
常々会員には「山に登ることは、感謝を学ぶこと」と言い続けている。
水道を捻れば水が出てくること、暖かい布団で寝られること、食事が普段通り出てくること、スイッチをつければすぐに部屋が暖かくなること、寝室の近くにトイレがあること、数え上げたらキリがないほど文明社会は贅沢になっている。
当たり前のことは、決して当たり前ではないのだ。
こうして自分の部屋のコタツでブログを更新する。
これらすべての贅沢に感謝をしなければいけませんね。
山岳会で初心者向け冬山講習を開催した。
今年は雪が少なく、雪洞訓練ができず、幕営(テント泊)のみの実施であった。
1日目は、初心者に対して雪上での幕営方法を講義し、熱々のキムチ鍋をほおばった。
韓国の辛ラーメンは、普段はあまり口にしないが、雪山ではごちそうとなった。
2日目は、松の木沢の出会いまで雪上ハイキングをおこなった。
とはいえ、今年は例年にない暖冬で雪不足。
テントを張っても雪用ペグがささらず、雪をかき集めてペグを打ち込む始末であった。
雪上ハイクも、スノーシューやアイゼンを持参したものの、全く使用することはなかった。
しかし、参加した会員に谷川連峰の一つである武能岳を紹介できたことは、主催者側として大きな喜びであった。
11月中旬、奥武蔵の大霧山に登る。
この時期は、日没が早いため、15時には駅に戻れるコースを選択する。
大霧山は、決して難しい山ではなく、山頂からの展望がきれいな山である。
今年は各地でクマの出没事例が頻発している。
大霧山は、いわゆる里山だが、油断はできない。
クマ鈴、発煙筒、自作の爆竹を利用したクマよけなどしっかり準備して登る。
最大のクマよけは、クマに出会う前に、自分の存在をクマにしっかり伝えることである。
クマに出くわしてからでは遅いのだ。
幸い、今までにクマに出くわしたことはないが、クマが近づくと獣臭がするという。
目・鼻・耳を研ぎ澄まして登ることが大切だ。
さらに、樹木の植生にも気を配らなければならない。
さらに万全を期すためには、笛や防犯ブザーも良いかもしれない。
いろいろなことを考えながら登ったが、山頂からの絶景は十分に堪能することができた。
8月中旬、夏季休暇を利用し奥穂高に登る。
今回は、山岳会のメンバーと一緒だ。
第1日目
上高地から入山する。さすが一大観光地だけあり、多くの人たちであふれていた。
私たちのような登山装備の人たちが浮いて見える。
その日は横尾山荘で幕営する。
第2日目
朝2時起床、テントを収納して4時に出発する。
ひたすら登るのだが、4日分の荷物が肩に食い込む。
途中休憩をはさみながら、やっとの思いで涸沢カールに到着した。
その日は、北穂高岳を目指す予定だったが、天候不順のため中止。
そのまま涸沢カールにて幕営した。
第3日目
モルゲンロートを仰ぎ見る予定であったが、雲がかかっていた。
朝6時、ヘルメットを着用し、西穂高岳をめざす。
西穂高岳山荘で休憩、天気を見ながら最後のアタックだ。
途中、小学校低学年のお子さんを連れた登山者を追い越す。
このルートは、滑落事故も多い。果たして子どもを連れてくるというのは、単なる親のエゴなのではないかとも考える。
万が一何かあった場合には、親の責任だけでなく、多くの人に迷惑をかけることも考えなければならないはずだ。
下山後、涸沢ヒュッテで飲んだビールとおでんの味がわすれられない。
第4日目
念願のモルゲンロートを拝む。
写真では、本物の美しさが伝えられない。
朝食後、すみやかに下山する。
年齢のせいにしてはいけないのはわかるが、確実にペースが遅くなっていた。
若者たちに間をあけられながら、無事下山した。
山岳会で雪上キャンプ講習を実施した。
当日は大雪降る悪天候のため、キャンプ場に滞在し、滑落停止訓練や雪洞体験等を実施したのだが、その一つに雪を溶かしての「水づくり」もおこなった。
私のこだわりはスウェーデン製のオプチマス(通称「青ガエル」)だ。南極観測隊も使用しているという触れ込みも気にっている。オプチマス社製のコンロは、ポンピング回数も少なく、プレヒートを行うにしても、アルコールをぶっかければよいわけで、簡単に点火する点が気に入っていた。さらに座高が低いため、大鍋を乗せることもできる。もちろんコールマン社製のガソリンコンロも持っているが、誰でも持っているコンロだからこそ、あまり使いたくなく部屋の隅にしまったままであった。
仲間は、当然のごとくコールマン社製のガソリンコンロを持ってきた。そこでスウェーデン(オプチマス)対アメリカ(コールマン)の雪を溶かしてのお湯沸かし競争を行ったのだが、現実はオプチマスの大敗北となった。
吹雪の中は時間との勝負だ。私も今後は変なこだわりを捨てて、コールマン社製のガソリンコンロを持っていこうと思う。
その後メンバー全員で食べたカレーが普段の10倍以上においしかった。
コロナ禍の中、4月を迎え、我が山岳会でも新しい会員が入ってきた。なかなか思うように山に入れないのだが、会員を前に講義をすることとなった。
何を話そうかといろいろ考えているが、あまり細かなことを説明すると、それでけで山嫌いになってしまうので、簡単に概論のみを説明しようと思ってている。
とはいえ、自分には「登山のルールは、他の競技と異なり『無事に帰る』ことだけだ。とにかく安全・安心を最優先とし、決して事故だけは起こさないでもらいたい。」程度しか話すことがない。
さらに、自分には会員を笑わせるだけの話術もなく、いろいろ悩んでいる。
しかし、講義の締めくくりには、この言葉だけは使いたいと思っている。
われわれは、君の経験の有無は問わない。ここに入ってきている部員は、みんな君同様に山の素人ばかりだ。想像したまえ、冷たい雪の中、吹雪、嵐と闘って目的をひとつにして、みんなが力を合わせて登ることを・・・。(中略)われわれ部員は、兄弟のような愛で結ばれている。この山岳部に入ってきた新人はだれでも、経験によって差別されることなく、山の基本の歩き方から教わっていく。かえって君のような初心者の方が上達がずっと早い
~植村直己 『青春を山に賭けて』(1977)~
これは、植村が明治大学山岳部に入部した時に先輩からかけられた言葉である。
なんと美しく、かっこいいい言葉なのでしょう。言葉に魂が込められている。
でも、自分には不釣り合いでしょうか(笑)。
2月某日、赤城山系の黒檜山に登る。
平地では晴天であったが、山に近づくにつれて風が強く、氷雪が横から叩きつける天候であった。
赤城大沼では恒例のワカサギ釣り客もいたが、例年になく少ない。
駐車場からアイゼンを装着し、山頂に向かう。ここは、雪山登山の練習として有名なコースだ。
途中、吐いた息がサングラスにあたり、たちまち氷結する。
これでは全く見えない。メガネをはずし、裸眼で登る。
最初からゴーグルにすべきだったかとも考えたが、ここしばらくコンタクトレンズを使っていない。
平地とは異なり、不衛生となりがちな山中でコンタクトレンズを装着するのは、個人的に不安があるからだ。
登りながら、氷雪が容赦なく顔を叩きつける。雪ならばともかく、氷となると痛い。
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